女ごころ W・サマセット モーム(著)ちくま文庫 の書評・感想

モームの作品は翻訳されたものはほとんど読んでいると思う。どの作品も基本最初から最後まで読みやすく、文にツヤがあり話に落ちがある。長めで好きなのは本タイトルと『劇場』あと『サミング・アップ』も好き。

新潮の100冊にはいまも『月と6ペンス』だけが残っているのだが(たぶん30年は動いてない)、なんでだろう。グロテスクで痛々しくてどちらかといえば好きじゃないかな。単純によく売れているのだろうか。

個人的に仕事をやめてブラブラらしていた時、いままで読みたかったけど読めてなかった本を全部読んでみようと思っていくつか読み始めた。本タイトルはそのとき図書館でたまたま手に取ったなかの一冊。『女ごころ』という題名が、なにか「純文学にあらずは文学にあらず」みたいな時代の風潮を表しているようにも感じられて、どうも敷居が高かったんだけど、読みはじめると一気に引き込まれて読了してしまった。

これは心理小説じゃないと思う。のちにハリウッドでも『真夜中の銃声』という題名で映画化されたようにちょっとしたオシャレなサスペンスだと思う。読んでいるとヒッチコックやなんかの色あせた古い映画のポスターを思い起こしてしまう。

豪奢な別荘、二枚目のエリート、名うてのジゴロ、ボヘンミアンの青年、そして美貌の未亡人。お膳立ては完璧。モームは自然描写が苦手でほとんど出てこないんだけど、舞台設定は貧乏くささがなく、どこかスタイリッシュで文化的なにおいがする。それがおとなのエンタメ感を支えているのかな。

会話がちょっと舞台っぽく謳い上げすぎになりそうになるところがあるけど。全体を通して小気味よく実にうまい。

モームはゲイであったことも関係あるのか、女性に対する視線が非常に冷静というか冷徹なところがあるんだよね。裏に隠れた本音をズバリと書ききってしまう。それが意地悪に見えるところもあるけど、作品を壊すほどではないのはやっぱりショーマンシップのなぜる技なのだろう。

彼は文学は楽しみ以外のなにものでもないと書いていて、たとえばクンデラのように「文学は哲学よりはるかに未来を見通せる」などとはさらさら考えてはなかった。常に読者ファーストで、文がうねって抽象的な概念に昇華していったり、なにか特定の事項をやたらこと細かに描写したりということがない。彼自身退屈なところは飛ばして読むと公言していただけあって冗長な文が嫌いなんだろう。それが商業的な成功をもたらす一方、生涯文学的評価の低いことを嘆く結果にもなるわけなのだが。

なんか読んでて、成功っていいよな、お金持ちっていいよね、大人っていいよね、ってそんな気持ちにさせてくれる作品です。

 

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 学校の図書カードがいつも真っ白だった少年が「ことばは絶望を希望に変えうるか」という疑問を持ったことからはじまった四半世紀を超える読書生活。ことばとはなにか?書くとは?そして今もつづく本との出会いをゆらゆら語る書評ブログ。世界文学の復興と進化に貢献することがライフワーク。

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