要約すると サマセット・モーム (著) 中村能三(訳) 新潮文庫 の書評・感想

モームが晩年に自身の人生を振り返ってその時々の思いをまとめあげたもの。彼は人生の中で、何度かいかんともしがたい思いがこころにオリのように溜まってきて、のっぴきならない状態になったようだが、それらを書ききることで溜飲は下がり満足し、次の人生に迎えるということがあったようだ。内容はおもに文学、思想、芝居について書かれている。

書き手としては成功の部類に入るだろう人生からしてみれば、ある意味これは成功哲学だともいえるし、来たる作家たちへの貴重なアドヴァイスともとれる。一方で老境に入って若い世代を鼓舞しようというのでもなく、ただ自己満足、魂の重荷を降ろすために書くといって反論や対話に自身を開かず、いいたいことだけを綴ったとみれば放談ともいえる。ただ実際に彼が人生でなじんでいた思想、身につけていた思考、ハンドリングのよい考えの数々は難解さや晦渋なところがなく実に明晰で読みやすい。

彼ははじめ劇作家として成功したのだが、想像力はなかったと自嘲気味に話している一方、ストーリーに関しては書きたい物語が次々とわいてきて苦労しなかったそうで劇作の才能はあったと見える。ひとつボツになってもすぐに書き直して違う筋のものを売り込みに行ったという。

この芝居、演劇界の事情に通じた彼の経験はのちに文学に転身してからの『劇場』という作品にも存分に生かされている。

経済的に成功させてくれた大衆というものに最大限の感謝を示しながら、大衆に迎合することで精神が倦んでくる苦しみも吐露している。そういった場所に身を置くには頭も育ちもよすぎたのかもしれない。結局彼の芸術的才能、情熱とでもいえばいいのか、それは時代にもてはやされるだけでは満足できなくなる。また落ち目の劇作家の悲哀を見たこともあり、風向きのいいうちに芝居の世界から足を洗おうと決意する。

文学者としての彼は、文学的才能たとえば華麗な比喩といったものを書く才能がないことをさとり、何より明晰さを旨として、自身の性格を発展、成長させ、利用することに専念する。文章の範としたのはヒューム、ヴォルテール、シャイクスピアといったごりごりの古典。彼は世界文学案内も書いているが、そこで紹介されている作品も古典ばかり。古典を読むのに忙しく現代ものを読む暇がないようなこともどっかで書いてたな。

哲学者も文章家として評価して自身の文章の範としたと聞いて、あぁやっぱりそうかという気がした。彼がいわゆる純文学と大衆文学のちょうど真ん中あたりにいるように見えるのはそのせいなのだろう。華やかな世界で活躍しながら、奇をてらった作品にも見えることがあるけど、実はとても保守的な、モラリストであるというのが彼の本質なのかもしれない。

けれどあくまで彼にとっては文学と小説は同義で、自信も楽しみとしてのみ読み、なにより楽しませようとして書いた。広範な思想にも習熟しながら、物語の筋こそ最重視している。それはもちろん面白ければ、売れればいいというのではなく一発屋やディレッタントであることをきちんと戒めてもいる。職業作家として多作、勤勉であることを奨励して、それこそが自国に国文学の歴史をすすめ、ゆたかにするものだと説くほど彼の視点は高い。

作家は書かずにいられないものを書き、書くことそのものを報酬として満足すること。

作家は共感するのではなく、感情移入することで他者を通して自分を語らしめる。

創作は霊感、青春のある一時のみ出現する才能、それが一生続くものだと思うのは勘違い。

そんな箴言も傾聴に値する。

彼は思想について語るとき、真善美と価値があるなかで美こそ唯一価値があると説く。真などは修辞上の問題だと切り捨てているのが面白いしさすがの炯眼だと思う。作家の大事な資質として「寛容」を上げている彼らしい。人間の二面性、自己矛盾を誰よりも見つめてきた作家として一面的な正しさなどはまったく信用できなかったのだろう。

冷静で謙虚で優秀で勤勉、振り返ってみればそりゃ成功するでしょうという感じ。ペシミストであるものの作家にありがちな自殺願望もみられず自身の欲望に忠実に、自分の人生から引き出せるものはすべて引き出して生きた。
(生きすぎたという記述も読んだことがあるのだが・・・)

つまり『要約すると』「よく読み、よく書き、よく生きた」そんな人生なのだろう。

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 学校の図書カードがいつも真っ白だった少年が「ことばは絶望を希望に変えうるか」という疑問を持ったことからはじまった四半世紀を超える読書生活。ことばとはなにか?書くとは?そして今もつづく本との出会いをゆらゆら語る書評ブログ。世界文学の復興と進化に貢献することがライフワーク。

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